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横尾忠則(1936- )

兵庫県西脇市出身。20歳までを西脇で過ごす。
幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを
抱く。
神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。
三島由紀夫に出会い三島の「聖俗一体」的言動に触発される。
1970年の三島の死をきっかけにその後の15年間をオカルティ
ズムや神秘主義まで包括した精神世界に傾斜してゆくが、それ
らが大いなる錯覚だったと気づき「私」の探求の延長線上で絵
画に出会う。
精神世界と絵画は全く別の存在だと考えていたが、後にこの両
者が自分すら知らない深いところで結びついていると感じるに
至る。
向田邦子脚本によるTVドラマ「寺内貫太郎一家」(1974・TBS)で
は、倉田という謎の多い人物を演じた。
1980、ニューヨーク近代美術館にて開催されたピカソ展に衝撃
を受け、その後、画家宣言。
以来、美術家としてさまざまな作品制作に携わる。

2019年9月-12月にかけて、83歳の横尾は自らのキュレーショ
ンによる『自我自損』展を開催。
「自我自損」は、エゴに固執すると損をするという意味の造語
だが、ここで横尾は徹底した自己否定をキュレーションし、異
なる作風の作品を一堂に集めて見せ「私は自作を説明すること
は好みません。
従って見どころは見る側の問題で、私作者の問題ではありませ
ん」と発言。
一貫したテーマである「自我からの開放」を表現。
展示作品を選んだ基準はその日の「気分」であった。
多大な影響を受けた三島由紀夫をテーマとした作品の他 2018
年に画材を持った美術館の職員が現場に30分遅刻し、「制作意
欲を削がれた」として立腹。
宿泊先へ引き揚げ、展覧会は延期になって話題になった"事件"
を報じた朝日新聞の切り抜きをY字路前にかざして見せるカリ
カチュアライズされた作品なども見られた。

横尾忠則年譜

1936 兵庫県多可郡西脇町(現在の西脇市)に成瀬光政とツヨ
   の次男として生まれる。

1939 2歳の頃に、呉服商であった叔父の横尾誠起と輝恵夫妻の
   養子に入り、かわいがられて育つ
   幼いころから絵本の模写をしていた

1941 5歳にして「講談社の絵本」、石井滴水の「宮本武蔵」の
   巌流島の決闘を模写、画才を現す

1942 西脇町立幼稚園に入学

1943 西脇国民学校(現・西脇市立西脇小学校)に入学
   漫画を描くようになり『漫画少』誌に投稿

1945 1月より神戸の空襲が開始され3月と6月の空襲は被害が
   甚大であった
   西脇は空襲を免れたものの、西脇から神戸や明石の空が赤
   く染まるのが見えた

1946 母とともに大阪の鶴橋の闇市に米や織物を売りに行くが、
   大阪市内の空襲跡の風景に衝撃を受ける

1948 『漫画少』に漫画を毎月投稿

1949 新制西脇中学に入学

1950 南洋一郎、鈴木御水の「バルーバの冒険」、山川惣治の
   「少王者」や江戸川乱歩の少年ものなどに熱中

1952 兵庫県立西脇高等学校に入学
   「郵便友の会」を作る
   通信教育で挿絵を学び、油絵やポスター制作を開始する
   高校学園祭のために、ポスターを初めてデザイン・エリザ
   ベス・テイラーにファンレターを送り返信があったこと
   が地元紙で報じられる
   朝鮮特需により西脇の繊維工業が活況

1954 武蔵野美術学校出身の教師の影響で油絵を始め、県主催
   の絵画展などに相次ぎ入賞

1955 武蔵野美術学校受験のために上京するが、前述の教師の
   助言もあり断念
   西脇市織物祭のポスターが1等入選
   郵便局員志望だったが、加古川の成文堂印刷所に入社

1956 神戸新聞にカットを投稿していた常連5人にて神戸の喫
   茶店で個展を開催
   そこで神戸新聞宣伝技術研究所にスカウトされ神戸新聞
   社へ入社

1957 灘本唯人らのデザイングループ「NON」に参加
   神戸新聞会館勤務だった谷泰江と結婚

1958 第8回宣美展で奨励賞を受賞、会員に推挙される

1959 神戸新聞社を退社
   大阪のナショナル宣伝研究社に入社

1960 ナショナル宣伝研究社の東京の移転とともに上京日本デ
   ザインセンターに入社
   安保反対のデモの後でタクシーのドアで指をはさみ骨折

1961 京都労音のポスターを制作する

1962 大和証券DMのイラストでADC賞銀賞受賞
   細江英公、寺山修司らと知り合う

1963 東京ADC賞銅賞を受賞

1964 長女誕生
   ハイレッド・センターのシェルター計画に参加
   東京オリンピックのピクトグラム作成に関わる
   宇野亜喜良、原田維夫と「スタジオ・イルフィル」結成
   (翌年、解散)
   和田誠、篠山紀信らと東京オリンピック期間中にヨー
   ロッパ旅行
   灘本唯人、宇野亞喜良、山口はるみ、和田誠らと東京
   イラストレーターズ・クラブを結成(1970解散)

1965 吉田画廊の個展にて三島由紀夫と出会う
   後に共に仕事をする

1967 寺山修司の「天井棧敷」に参加
   ニューヨーク近代美術館に作品がパーマネントコレクシ
   ョンとされる

1969 主役として出演した大島渚監督の映画『新宿泥棒日記』
   が公開される
   第6回パリ青年ビエンナーレ版画部門グランプリ受賞

1970 写真をはじめる
   大阪万博で繊維館のパビリオンの建築デザインを担当
   ロンドンを旅行
   足の動脈血栓で入院、左足切断の危機を東洋医学で免
   れる、これを機に1-2年間の休業宣言
   11月25日、三島由紀夫が自決
   その3日前に横尾は三島に電話をしたが、その日は楯
   の会のメンバーと5人と、パレスホテルで自衛隊市ヶ
   谷駐屯地乱入のリハーサルを行っていた日であった
   そうとは知らず横尾は「こんな雨の中、遅くまでごく
   ろうさんです」といった
   この電話では様々な話をしたが最後に三島は、「インド
   は死を学ぶところではない。むしろ生を学ぶところだ
   よ、インドへ行けるものとそうでない者がいて、タイ
   ミングもある。
   君もそろそろインドへ行ってもいいな」といった
   三島の死は横尾にインド行きを決意させる

1972 ニューヨーク近代美術館で個展を開催

1974 篠山紀信とインド旅行
   この後、何度もインドを訪れるようになり精神世界に興
   味を深める
   第5回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞受賞

1981 渋谷西武で大規模な個展

1982 南天子画廊でペインティングの近作をまとめた個展
   横尾忠則の「画家宣言」ととらえられた
   画家としての活動が活発になっていく

1984 ベルギー国立20世紀バレエ団(モーリス・ベジャール主宰)
   ミラノスカラ座公演「ディオニソス」の舞台美術を担当

1987 兵庫県文化賞を受賞し兵庫県公館に作品が展示保存される

1995 毎日芸術賞受賞

1997 ニューヨークADC賞金賞受賞

2000 ニューヨークADC名誉の殿堂入り

2001 紫綬褒章受章

2002 これまでで最大規模の個展「横尾忠則森羅万象」開催
   多摩美術大学大学院教授に就任(2004年まで)

2004 紺綬褒章受章
   故郷のそばを走るJR加古川線電化開業、それにあわせ、ラ
   ッピング電車のデザインをし同線で運行開始される
   多摩美術大学大学院客員教授(博士課程)に就任

2006 日本文化デザイン大賞受賞

2008 初の小説集『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞受賞

2010 神戸芸術工科大学大学院客員教授に就任

2011 旭日小綬章受章

2012 常に時代と共振する斬新なグラフィックデザイン・絵画
   の制作により2011年度朝日賞受賞
   神戸市灘区に横尾忠則現代美術館開館

2013 西脇市名誉市民
   豊島横尾館開館

2014 愛猫「タマ」永眠
   不眠など激しいペットロス症候群を経験
   裏庭に「タマ霊園」を造る
   死の3か月前の2月25日、タマが行方不明に、古書店キヌタ
   文庫主人の、横尾の隣家が捨て猫を保護しているとの情報
   で、3月2日に訪問したところタマを発見。そのわずか3か
   月後であった

   1937建造で昭和初期の面影を色濃く残し、2008には兵庫
   県の景観形成重要建造物になった西脇市立西脇小学校の校
   舎が取り壊されるかも知れないという危機を知り、建替え
   に反対、保存改修による使用を強力に提案ノスタルジーか
   らではなく、市民の文化の高さを誇る象徴としての建造物
   が存在するということを自慢できる市民一人ひとりが誇り
   を持っていただきたいと発言教育の場の経済至上主義、物
   質主義に警鐘を鳴らした
   同校舎は映画「火垂るの墓」「人間失格」のロケにも使わ
   れている
   その結果、校舎3棟の保存が決まった
   日本宣伝賞山名賞受賞

2015 高松宮殿下記念世界文化賞絵画部門受賞
   西脇市商業連合会が、西脇市内在住者を対象とし、市内の
   主要な店舗で使用できる横尾のデザインによる「西脇Y
   字路お買い物券」を3億円分発行

2016 『言葉を離れる』で第32回講談社エッセイ賞受賞

] 2018 西脇市岡之山美術館で特別展・「横尾忠則 西脇幻想」
   展開催予定
   メイン作品の制作日の8月29日に美術館職員が遅刻し制
   作出来なかったため、9月18日に開催延期が発表された

2019 9月-12月にかけて開催された「自我自損」展(エゴに固執
   すると損をするという意味)では、この"事件"を報じた
   朝日新聞の切り抜きを、Y字路前にかざして見せるカリカ
   チュアライズした作品などを展示した
   横尾忠則現代美術館にて、横尾自身のキュレーションに
   よる個展である『自我自損』展を開催
   横尾自身のキュレーションによる横尾の個展は公立美術
   館では初の試みであった
   タイトルの「自我自損」は、エゴに固執すると損をすると
   いう意味の造語で、横尾の絶えざる自己否定、一貫した
   テーマである「自我からの開放」を背景とする

2020 『タマ、帰っておいで』(講談社)刊行
   「愛猫への鎮魂歌(レクイエム)」として描いた画集
   愛猫「タマ」が亡くなったその日から、魂を鎮めるため
   に描いたタマの絵が91点収められて、折々に綴ったタマ
   に関する文章や日記が多数掲載されている
   発売2週間で重版となり、画集というジャンルとしては異
   例の速い売れを記録した。
   東京都名誉都民に顕彰される

2021 愛知県美術館で企画展「GENKYO 横尾忠則」原郷から
   幻境へ、そして現況は?」を開催
   同企画展は東海地方初の個展となる
   品川区東品川のYUKIO MIZUTANI GALLERYにおいて
   『TADANORI YOKOO SLIP OFF SLIP WITH MASK
   PORTRAIT』と題して東洲斎写楽の作品をモチーフに
   した油性浮世絵木版画の展覧会を開催
   『摺れ摺れ草』シリーズ5点の作品を披露した

2022 紺綬褒章飾版、木杯一組受章
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