ホーム > 日本洋画作家 > 小山田二郎 >  小山田二郎略歴

小山田二郎(1914- 1991)


世相を皮肉的に風刺するシュールな油彩画や水彩画を
多く描き、特に油彩ではペインティングナイフでキャ
ンバスを傷つけるほど大胆な手法で描くことで知られ
る。曽祖父に黒羽藩士小山田廣徳(弁助)、遠縁に日本画
家小堀鞆音がいる。
1914、小山田廣志と妻まつの子として父の出張先であ
る中国・安東県で生まれる。
翌年に両親から離れて祖父母の住む日本に引き取られ
東京で暮らし始めるが、2歳の時スタージー・ウェーバ
ー症候群を発症。手術を受けるが完治する事は無く次
第に下唇が腫れあがり顔中に痣が浮かぶようになった。
1927、13歳で母と共に母の実家である栃木県尾大田原
市に転校したが、時と共に変形する顔にコンプレック
スを抱き内に篭るようになった。
その後、遠縁の日本画家・小堀鞆音のもとで絵を学び
画家への道を志すが父の猛烈な反対を受ける。
1934、帝国美術専門学校(現・武蔵野美術大学)に入学
するも父の堅実な道をという理由で図案科での入学で
あった。
諦めのつかなかった二郎は翌年に父親に黙って西洋画
科へ転入し、すぐに父の知るところとなり仕送りを停
止された結果中退を余儀なくされた。
在学中には矢崎博信らと「L'anima(アニマ)」を結成し
ている。
太平洋戦争が勃発すると画材を集めることもままなら
ず、絵描きとしても戦争を賛美することばかりが求め
られる風潮に絶望して一時筆を置くが、大日本印刷が
画家を集めている事を知り1944に入社した。

終戦後は日本の変わりように矛盾を感じその思いをぶ
つけるかのような作品を描いている。
1947、自由美術家協会(戦前からある前衛美術の有力団
体)に入会。1952、38歳の時に瀧口修造の推薦を受け
てタケミヤ画廊(神田駿河台下の洋画材店「竹見屋」
の画廊で6年間の営業中に201の展覧会を行ない日本の
現代美術に多大な貢献をした)で初めての個展を開催
し、その後も毎年個展を行うようになった。
1952、共に画家活動をしていたチカエと結婚して高円
寺に暮らし、一女にも恵まれ、魔理亞(まりあ)と名
付けた。妻の小山田チカエ(1922-2012、本名・島貫キク)
は、上京後広告会社に勤めながら絵を描き、自由美術
家協会に属し、1950年代には左翼系画家を集めた「ニッ
ポン展」(前衛美術会主催)にも参加、晩年は「美術・九条
の会」にも参加していた。

1959、協会の方針に疑問を感じ退会した。団体展参加に
疑問を持ち、以降は画廊での個展を中心に作品を発表。
1971、57歳の時に「ラーメンを食べに行く」と言って
府中市の自宅を出たまま突如失踪し、家族を置いて20
代の愛人・小堀令子(小堀鞆音の孫、武蔵野美術大学卒)
に奔った。
令子とは娘・亜巣架をもうけ、生涯生活を共にした。
失踪以後の活動は特定の画廊でのみ行い、世間との関
わりが希薄化するにつれて世間から注目されることも
少なくなった。1991、進行性胃癌で死去。享年77歳。
小山田の没後、令子も画家として活動を始め、絵画教
室講師も務める。

小山田二郎年譜

1914 父の赴任先である中国安東県に生まれる

1915 祖父母に引きとられ東京根岸に育つ

1916 先天性ウェーバー氏病の手術を行うが成功に至ら
   なかった

1919 日本画家小堀鞆音から透明水彩を学び始める

1926 中国から帰国した母と共に祖母の郷里、栃木
   県大田原へ移る

1934 帝国美術学校図案科入学

1935 シュールレアリスムを標榜する絵画グループ「アニマ」結成
   西洋画科に転入するが翌年父に反対され中退

1937 独立美術協会展に出品

1940 美術文化協会展に出品(〜1944)

1947 画家として立つことを決意し、自由美術家協会会員
   となり、出品(〜1957)

1952 瀧口修造に認められタケミヤ画廊にて個展開催

1955 ブルックリン国際展

1957 サンパウロビエンナーレ

1959 団体展に疑問を持ち自由美術家協会脱会

1961 「小山田二郎展」大丸にて(〜1962)

1963 「小山田二郎展」飯田画廊(〜1969)

1974 「小山田二郎展」フマギャラリー(〜1982)

1983 「小山田二郎展」東邦画廊(〜1990)

1991 7月26日 死去(77歳)
   翌年の新聞記事「ひっそりと去った異才-小山田二郎」
   (針生一郎)で知られる

1994 小山田二郎展(小田急美術館・栃木県立美術館)

1995 阿久津画廊にて個展(2005、2006、2009)

1997 小山田二郎の水彩画(富岡市立美術博物館)
   小山田二郎・豊田一男二人展(阿久津画廊)

2005 小山田二郎展(東京ステーションギャラリー、高崎市美術館)

2006 NHK新日曜美術館「伝説の画家小山田二郎」放映

     記憶から生まれる幻想や自己の内面にある小宇宙を描き
  続けた画家小山田二郎。
  小山田独特の攻撃的、自虐的な造形感覚と表現力は、鮮烈
  かつ衝撃的で、世紀を超えて見る者の心をわし掴みにする
   小山田は、抽象とシュルレアリスムという二つの新しい
  芸術思潮の影響を受けた前衛的な群小美術グループの中で
  育ち、戦後間もない時期の画壇を担う。
  71年以降は友人にも居場所を知らせず、それまでの家族
  を残して失踪し、世間とのかかわりを画廊に送る作品のみ
  に限った。

主な作品
宿命(1935)戦災により消失
野蛮人(1954)
食卓(1954)
顔B(1955)
ピエタ(1955)
こわす者(1955)愛知県美術館蔵
鳥女(1956)
アダムとイヴ(1956)
愛(1956)愛知県美術館蔵
鳥女(1962)
漂着物(1972)
ロマンス(1978)愛知県美術館蔵
夏の虫(A)(1978)愛知県美術館蔵
舞踏(1991)
小山田二郎画面に戻る