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千住博(1958− )

絵を描く行為の起源を旧石器時代の洞窟壁画まで遡り考え、
当時人々は超自然的な存在と交信するために暗い洞窟の中で
絵を描いたと考えている。
本来洞窟内部の暗闇の中で宗教的な目的から描かれた絵が、
次第に明るい方へと場所を移した結果、人々に見られるタブ
ロー(絵画作品)としての意識が芽生えたのではないかと、
画家の視点から考察している。

日本の芸術における最良のエッセンスの多くは、良寛、松尾芭
蕉、紀貫之、藤原定家などの詩歌の世界に見出されると論じる
『日本の芸術論』(安田章生著、創元社)から多くを学んだ
と語っている。

代表作の『滝』はそれ自体が絵の具を流しての「滝」なので
あり、「滝の描写」ではない。ここに絵画のイリュージョンか
ら抜け出せなかった歴史からの展開を試みているとし、また
テーマと技法と手段が完全に一致した実証と述べている。

抽象絵画について、自分の場合どこそこの滝、という名所旧跡
を描いているわけではなく、滝なる概念、上から下に水が流
れるというシステムを画面の上に出現させるのが自分の作品
だと語っている。

21世紀は9.11から始まったと考えている。20世紀後半、ショッ
クやセンセーションをテーマにした現代美術がニューヨーク
やロンドンを席巻していたが、9.11テロの事件後、世界の価
値観が一変したことを感じたと語っている。

「画家は常にインスピレーションが来る『危険』に満ちている」
と語っている。

2009年まで、名前の博の右上の点は取っていた。理由として若い
頃、自分の実力は点が一つ足りないくらいが丁度と心得て、人
一倍頑張ろうと思ってあえて点を取っていたとしている。しか
し50歳を過ぎて京都造形芸術大学の学長に推挙され、点が一つ
足りない先生では学生も困るだろうし、そろそろ良いかなと思
って普通の字に戻したとしている。

「宋元画は人類史上の頂点を極めた。比類ないレベルの絵画」
と台北にある国立故宮博物院を30年近くぶりに訪れた際に語っ
ている。

千住博年譜

1958 1月7日東京都杉並区和泉町で、工学博士の千住鎮雄と、
   教育評論家でエッセイストの千住文子の長男として生ま
   れる
   当時、父が学位論文を書き終えたときだったので、博士
   の博をとって名付けられた
   母の父(角倉邦彦)方祖先に角倉了以、角倉賀道がいる
   弟は作曲家の千住明、妹はヴァイオリニストの千住真理子

   3、4歳の頃から家中の壁や襖をキャンバスにして絵を描
   いていた
   幼稚園の頃はピアノを習い、また小学校受験勉強とし
   て塾で絵の勉強を始める

1964 慶應義塾幼稚舎に入学

   6歳頃から兄妹3人でヴァイオリンを習い始める
   美術部に所属し、運動会の駆けっこを描いた絵が学校
   代表で展覧会に出品される
   父の仕事の関係で、4年生の時に6ヶ月間アメリカに家
   族で滞在する
   車でアメリカ大陸を横断し、ヨセミテ国立公園、グラン
   ドキャニオン、ニューヨークシティ、ナイアガラの滝
   などを旅する
   帰国後、横浜郊外に引っ越す

1970 慶應義塾普通部に進学
   美術部、水泳部などに所属する
   絵は好きだったが、当時は画家や漫画家になるつもりは
   なくその気持ちは高等学校に進学してからも変わらなか
   った
   慶應義塾高等学校時代のある日、所属していた美術部の
   部室に先輩が持ち込んだデザイン雑誌を目にし、永井一
   正、田中一光など日本発のグラフィックデザインに衝撃
   を受ける
   同時期、建築の世界にも興味を持ち始め、美術系の大学
   へ進学することを決意する

   高校2年生の秋、美術の担任だった毛利武彦の勧めで日本
   画のグループ展に行き、岩絵の具と出合う
   岩絵の具を使って絵を描きたいという強い思いから、日
   本画専攻の予備校に通い始める

1978 2年の浪人を経てに東京藝術大学美術学部絵画科日本画
   専攻に入学する
   学部在学中の約4年間、鎌倉の美術予備校湘南美術学院
   にて教鞭を執る

1982 東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業
   学部の卒業制作は、千住博によれば「大いなる失敗」
   「描きすぎて、本当につまらなくなってしまいました
   でも、それで初めて"筆を置くとき"を知ったのです」と
   語る
   東京藝術大学大学院に進学

1984 修士課程修了作品「回帰の街」が首席で大学の買い上
   げとなり、どんな苦労をしても画家としてやっていこ
   うと心に誓う同大学院博士課程へと進み、稗田一穂に
   師事する

1987 同大学院博士課程修了
   博士課程終了作品は東京大学買い上げとなる
   バーゼルアートフェアに出品(新生堂、スイス)

1988 東美特別展にて個展(新生堂、東京)

1989 「千住博画集」刊行(求龍堂グラフィックス)
   マンリー市立美術館「千住博展」
   (シドニー、オーストラリア)

1991 東美特別展にて個展(新生堂、東京)

1992 マックスウェルデビッドソン画廊にて千住博展
   (ニューヨーク)

1993 絵本「星のふる夜に」刊行(冨山房)
   ボローニャ国際アートブックフェアに選出
   山中湖高村美術館「千住博1980-1994展」(山梨)
   ニューヨークアートディーラーズフェアに出品
   (ニューヨーク、アメリカ)
   羽田空港ターミナルに千住博の作品が収蔵される
   「ニューヨークギャラリーガイド」の表紙に選出

1994 山種美術館が初期から現在までの約20作を買上げ本格
   収集を始める
   台北市立美術館「千住博展」(台北、台湾)
   第46回ヴェネチアビエンナーレ優秀賞受賞
   (ヴェネツィア、イタリア)
   「千住博画集」刊行(ビジョン出版)
   第4回けんぶち絵本大賞受賞
   第7回MOA美術館岡田茂吉賞絵画部門優秀賞受賞

1995 第46回ヴェネチアビエンナーレ優秀賞受賞
   「ビューティフルプロジェクト」展(ロンドン現代美術館)
   外務省買上
   「ヴェネチア日誌」刊行(求龍堂)
   「千住博・滝の夢」刊行(芸術新聞社)
   「ザ・ホール」展(横浜ランドマークタワー、横浜)

1996 文化庁買上
   バーゼルアートフェアに出品(バーゼル、スイス)
   「千住博-滝の中の宇宙-」(伊勢丹美術館、東京)
   「千住博-Waterfalls&Glasses-展」彫刻の森美術館)
   「JAPAN TOUR 1996 千住博展」(全国主要17都市を巡回)

1997 大徳寺聚光院別院襖絵制作に着手
   文化庁優秀作品(同買上)
   外務省買上(飯倉公館、NY国連大使公邸、
   ローマ日本大使公邸、パリ日本文化会館に収蔵)
   以降毎年買上

1998 大徳寺聚光院別院の全襖絵の制作に着手

2000 「両洋の眼21世紀の絵画」展で河北倫明賞受賞
   人間国宝野村万蔵家新十二支扇面を制作

2002 大徳寺聚光院別院の全襖絵初公開
   第13回MOA美術館岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞
   「水墨の香り」韓国・ソウル国立現代美術館

2003 高さ3M×横幅25Mの壁画制作(グランドハイアット東京)
   「絵画の現在」(新潟県立万代島美術館)
   「現代の日本画−その冒険者たち」(岡崎市美術館)
   『現代「日本画」の精華』(熊本市現代美術館)
   ロイヤルコペンハーゲン社より陶板画
   「千住博コレクション」刊行
   「国宝 大徳寺聚光院の襖絵展」(東京国立博物館)

2004 羽田空港第2ターミナルのアートプロデュースを手懸ける

2005 「L-finesse」展にアートプロデューサーとして参加
   (ミラノサローネ・レクサス)
   「大徳寺聚光院別院襖絵77枚の全て」展(福岡アジア美術館)

2006 第6回光州ビエンナーレ(光州、韓国)
   「直島スタンダード2」展(ベネッセアートサイト直島、香川)
   個展「千住博」展(山種美術館)

2007 「山種美術館所蔵名品展」富山県立近代美術館)
   「松風荘」襖絵完成(フィラデルフィア、アメリカ)
   「百柱をたてる−空即是色・千住博」(松本市立美術館)
   個展「Haruka Naru Aoi Hikari」
   (サンダラムタゴールギャラリー、ニューヨーク)

2008 「液晶絵画」展(三重県立美術館、国立国際美術館、
   東京都写真美術館を巡回)
   赤坂サカス赤坂Bizタワー壁画「四季樹木図」制作

2009 家プロジェクト「石橋」母屋「空の庭」完成
   (ベネッセアートサイト直島、香川)
   個展「Out of Nature」(サンダラムタゴールギャラリー、香港、中国)

2010 20世紀美術への招待状」展(岐阜県立美術館)
   「佐久市立近代美術館名品展」高崎市タワー美術館)
   「千住博 青の世界-東山魁夷からの響き-」展
   (香川県立東山魁夷せとうち美術館)
   日本国政府の依頼によりAPEC JAPAN 2010の会場構成を担当
   東京国際空港新国際線ターミナル開業に伴い、アートプロデ
   ュースを手がける

2011 アートディレクターを務めたJR博多駅が完成
   「水・火・大地 創造の源をもとめて」展(熊本市現代美術館)
   「第5回成都ビエンナーレ」(成都、中国)

2013 大徳寺聚光院に新しく増築された大書院等に、襖28面と床
   の間2ヶ所にわたる障壁画を完成する
   完成までに10年の月日を費やした

 現在までニューヨークを中心に個展、グループ展
 アートフェア出品等多数
 都造形芸術大学学長 同大学付属康耀堂美術館館長
 東京芸術学舎学長 公益財団法人徳川ミュージアム相談役
 新生会議副議
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