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武者小路実篤(1885-1971)

 1985年 5月12日東京市麹町区元園町1ノ38
       (現在の千代田区一番町19−4)に生まれる
       父は実世(さねよ)33才、母は秋子(なるこ)31才
       家は華族で子爵、8人きょうだいの末子

 1987年 父実世が肺結核で没(35才)
       兄公共が家督と爵位を相続 

 1891年 学習院初等科入学、同級に木下利玄がいた 

 1897年 学習院中等科へ進学 

 1900年 「お貞さん」こと志茂テイ(12才)が姉とともにて上京 

 1902年 中等科六年に進級、志賀直哉が二度目の落第で同学年となる 

 1903年 志茂テイが帰郷、失恋する
       トルストイの「我宗教」「我懺悔」、聖書を読む
       学習院高等科に進学
       志賀、木下、正親町公和(おおぎまちきんかず)と同級になる 

 1906年 東京帝国大学文科大学哲学科社会学専修に入学 

 1907年 志賀、木下、正親町と志賀宅に各自の創作を持って参集
       「十四日会」と命名8月、退学 

 1908年 創作感想集「荒野」を自費出版
       「十四日会」で回覧雑誌「暴矢」を創刊、のちに「望野」と改題 

 1910年 月刊誌「白樺」を創刊
       創刊号に「「それから」に就て」を発表 

 1911年 創作集「お目出たき人」刊行 

 1912年 「世間知らず」刊行 

 1913年 竹尾房子(20才)と結婚実篤の生家で同居入籍は翌年 

 1914年 「中央公論」に戯曲「わしも知らない」を発表
       商業誌への初めての発表、家を借り、初めて生家を出る 

 1915年 文芸座が「わしも知らない」を帝劇で上演 

 1916年 肺結核と診断される(のち誤診と判明)
 
 1918年 雑誌「新しき村」創刊11月
       宮崎県児湯郡木城村大字石河内字城に新しき村を作る 

 1919年 村に内紛が起こる
       「幸福者」刊行
       「友情」の連載開始 

 1920年 「友情」刊行
       第一詩集「雑三百六十五」刊行 

 1922年 戯曲「人間万歳」を発表
       飯河安子(21才)と結婚(入籍は29年) 

 1923年 芸術社から「武者小路実篤全集」全12巻の刊行開始(昭和3年完結)
       有島武郎自殺(45才)
       関東大震災で生家焼失「白樺」廃刊
       自伝小説「或る男」刊行
       長女新子(しんこ)誕生 

 1925年 木下利玄没(39才)
       次女妙子誕生
       新しき村を離れる 

 1926年 志賀がいた奈良市水門町に住む 

 1927年 東京府南葛飾郡小岩村に転居
       カボチャの絵を描き、最初の油絵と記す
       改造社の現代日本文学全集(円本)の一冊に入る

 1928年 母秋子没(75才)葬儀の日に三女辰子誕生 

 1929年 初の個展を日本橋丸善で開く

 1930年 「棘まで美し」刊行 

 1931年 二宮尊徳、大石内蔵助、井原西鶴などの評伝を書く 

 1935年 「人類の意志に就て」刊行
       日射病に坐骨神経痛を併発し、1ヵ月病臥 

 1936年 ヨーロッパ歴訪の旅に出発ベルリンオリンピックを観戦
       ピカソ、マチスに面会アメリカ、ハワイを経て12月に帰国 

 1937年 芸術院会員に推され就任 

 1938年 「人生論」刊行 

 1939年 ダム建設により宮崎の新しき村の耕地の多くが水没することになった
       ため、埼玉県入間郡毛呂山町に東の新しき村をつくる
       「愛と死」刊行 

 1940年 「愛と死」が菊池寛賞を受賞
       東京都三鷹市に転居
       「幸福な家族」刊行 

 1941年 代表作を編集して「無車詩集」刊行 

 1942年 「大東亜戦争私感」刊行
       日本文学報国会劇文学部長に就任 

 1945年 疎開先の秋田県雄勝郡秋ノ宮村稲住温泉で終戦を迎える

 1946年 貴族院の勅選議員に就任
       「若き日の思い出」刊行
       公職追放のG項該当者に指定され、貴族院議員と芸術院委員を辞任 

 1948年 白樺同人、漱石門下、芸術界学界の長老らと生成会を結成
       機関誌「心」を創刊山谷五兵衛もの第一作「彼の羨望」を発表 

 1949年 「真理先生」の連載を「心」で開始 

 1951年 「真理先生」刊行
       公職追放解除
       文化勲章受章 

 1953年 「馬鹿一」刊行
       「空想先生」刊行 

 1955年 新潮社から「武者小路実篤全集」全25巻の刊行開始
       (昭和32年3月完結)
       調布市入間町(現若葉町)に転居 

 1963年 NHKの連続テレビ小説として「あかつき」が放映された 

 1967年 後半生の自伝として「一人の男」連載開始(〜1970年) 

 1971年 志賀直哉没(88才)弔辞を読む 

 1976年 入院中の安子を見舞った翌日に脳卒中で倒れ、以後ことばの自由を失う
       安子没実篤は知らされず4月9日、東京慈恵会医大付属第三病院にて没
       90才10ヵ月葬儀は無宗教形式、戒名はない 
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