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木下孝則(1894-1973)

 1984年 2月24日、東京に生まれる
 
 1917年 京都帝国大学法科政治経済学科入学

 1918年 京都帝国大学法科中退

 1919年 東京帝国大学哲学科中退

 1921年 第8回二科展に「富永君の肖像」初入選
       洋画研究のため渡仏 

 1923年 フランスより帰国 

 1924年 二科会展で樗牛賞を受賞

 1925年 二科賞を受賞 

 1926年 「一九三〇年協会」を前田寛治、佐伯祐三、里見勝蔵、小島善太郎らと設立 

 1927年 春陽会会員に推挙 

 1928年 渡仏、以後帰国する昭和10年までサロン・ドートンヌに出品 

 1930年 春陽会を退会

 1935年 帰国 

 1936年 二科会会員に推挙
       第23回二科展に「裸婦ナックレ」など滞欧作19点が特陳される
       木下義謙、小山敬三、硲伊之助等と二科会を退会し、一水会の創立に参加

 1937年 第1回一水会展に「O氏像」「ヴォーグ」「K嬢像」出品

 1952年 第1回日本国際美術展に「裸婦」「少女像」出品

 1962年 第1回一水会委員展(日本橋三越)に「靴下をはく女」出品

 1969年 改組第1回日展に「水色のバレーダンサー」出品
 
 1973年 3月29日、横浜市で死去、享年79歳
        勲四等旭日小綬章を受ける

        一貫して都会の洗練された婦人像を描き、穏健な写実家として知られ、
        とくに戦後の一連のバレリーナの作品で注目された
        作品に「N嬢像」「後向きの裸婦」「バレーダンサー」などがある
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