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木村忠太(1917-1987)


香川県高松市生まれる。香川県立工芸学校を病気で中退
1936に画家を志し上京。二科アカデミーに通う。
1942に独立賞。1943、高畠達四郎の推薦で帝国美術学
校本科に入学。1953に渡仏しパリに住居を置く。
以後、30年以上にわたってフランスに永住して活躍し、
ひたすら制作を続けた。

忠太はフランスに長く永住して活躍したにも関わらず、
地元の言語であるフランス語を全く覚えようともしなか
った。それどころか、画廊にも興味を示さずに、自らひ
たすら絵を描き続けたという。そのため、忠太の妻は一
生懸命フランス語を勉強したという
1955にコタボやフサロらと共に、具象画の新鋭としてフ
ランスの画界にデビューし、鮮やかな色彩と即興的な筆
致で東洋的油彩画として注目される。
1950年代は現実にある事物を再現して表す「具象絵画」
に対して、画面全体を色と線のみが支配する「アンフォ
ルメル」や「抽象表現主義」が美術界を席巻していまし
た。
 しかし、木村はこのような動向とは距離をおき、南仏
やパリの風景を題材にしながらも自然への感動や畏敬の
念を画面に捉えようとしました。幾重にも重なったマチ
エール(絵肌)と色面は、作家が魂に焼きつけようとし
た自然の光を表しています。
そこに引かれた自由闊達な描線に目を凝らすと木や建物
、道路などさまざまな風景が浮かびあがります。
こうして抽象と具象を超えた独自の風景画を確立した木
村は、フランスではもちろんのことアメリカでも高く評
価されました。
日本での初個展は1966。1969にサロン・ドートンヌに
出品した「ル・クロ・サン・ピエールの家」は、フランス
政府・パリ国立近代美術館による買上げとなった。
1970サロン・ドートンヌ会員。1978、第2回長谷川仁賞
受賞。1984年、フランス芸術文化賞。
和風と洋風が統合したような独自の画風で知られ、フラ
ンスの風景などを、色鮮やかで華やかな具象絵画で描い
た。「魂の印象派」と称された。主な作品に、前述の「ル・ク
ロ・サン・ピエールの家」のほか、「ヴァローリスのオ
リーブの木」「シャトネーの庭」「谷間」などがある。
1984にフランス政府より芸術文芸騎士勲章を贈られた。
1987年7月3日午前3時(日本時間同日午前10時)肝硬変の
ためパリのサンタントワーヌ病院で死去した。
1985米ワシントンのフィリップスコレクション美術館で
、続いてニューヨークの画廊でも個展が開催され、現
代美術の中心地アメリカでの活躍が期待された矢先の19
87にパリで急逝。
生前から企画されていた日本での個展が1989年、高松市
美術館と東京・渋谷区立松涛美術館で開かれ、1994年に
は東京国立近代美術館と国立国際美術館で大規模な回顧
展が開催された。
近年では、2017に木村の作品を37点所蔵していた群馬
・高崎市美術館(現在は71点所蔵)で展覧会が開かれて
いる。
日本での主な回顧展
、高松市美術館・渋谷区立松濤美術館(1989)
東京国立近代美術館・国立国際美術館(1994)
高崎市美術館(2017)
木村忠太年譜

1917 高松市に生まれる(本名忠一:渡仏後改名)

1930 香川県立工芸学校入学(病気のため中退)

1936 上京

1937 独立展初入選
   召集を受け中国へ出征

1940 除隊して帝国美術学校入学

1942 第12回独立展で「炭坑夫」が独立賞受賞

1945 再び応召、中国で終戦をむかえた

1948 独立美術協会会員となる(−1959)

1953 幸子夫人を伴って渡仏

1955 ギャラリーアールヴィヴァンと契約(−1963)
   以来ニューヨーク、リヨンでも個展開催

1957 パリビエンナーレ展に出品

1960 シャルパンティ画廊(パリ)のエコールドパリ展に出品

1961 ギャラリーアールヴィヴァンで個展
   シャルパンティ画廊(パリ)のエコールドパリ展に出品

1963 グラン・ゼ・ジューヌ展に出品
   「シャトーの庭」がパリ市買い上げとなる
   ギャラリーファルヴァールと契約(−1964)

1964 ギャラリーファルヴァールで個展
   ギャラリークリエジェルと契約

1965 ギャラリークリエジェルで第二回個展

1966 東京日動画廊で初個展

1967 ギャラリークリエジェルで個展
   クロ・サンピエールに初滞在

1968 東京日動画廊で第二回個展
   パリ市内に転居

1969 ギャラリークリエジェルで第三回個展
   「クロ・サンピエールの家」がフランス政府に買
   い上げられる
   大阪日動画廊で個展
   リトグラフの制作を始める
   (1986までに22枚のリトグラフを制作)

1970 サロン・ドートンヌの会員となる

1971 ギャラリークリエジェルで第四回個展
   東京日動画廊で第三回個展

1973 ギャラリークリエジェルで第五回個展

1975 ギャラリークリエジェルで第六回個展
   木村忠太画集刊行(日動出版)
   東京日動画廊で第四回個展

1976 フランス・ベネルックス画廊で個展
   (ブリュッセル)
   ギャラリーサピロ(パリ)で個展

1977 ギャラリークリエジェルで第七回個展
   ベネルックス画廊で個展(パステル)
   (ブリュッセル)
   日本テレビ「光・その真実を求めて、カンヌの
   木村忠太」放映

1978 東京日動サロンで第五回個展
   (東京日動画廊での最後の個展)

1979 フランス国家収蔵品による「画家の視線」展に
   展示される(ポンピドーセンター)

1980 グランパレでのFIACのアートヨミウリ画廊の
   ブースで油彩展

1981 東京国立近代美術館がFIAC出品作「谷間」購入
   日本テレビが「純粋な魂の探究、木村忠太」を
   放映
   日本橋高島屋で個展
   ギャラリーたからしで個展

1982 アートヨミウリ・フランス画廊(パリ)で個展
   クリュジェ画廊(ジュネーブ)で個展

1983 ギャラリーたからしで個展、木村忠太画集刊行

1984 フランス政府より芸術文芸騎士勲章が授与
   アートヨミウリ・フランス画廊(パリ)で個展

1985 フィリップ・コレクション美術館で個展
   (ワシントン)
   日本橋高島屋で個展
   ルース・シーゲル画廊で個展(ニューヨーク)
   FIACのアートヨミウリ画廊のブースで個展

1986 ギャラリーたからしで個展
   アートヨミウリ・フランス画廊(パリ)で個展
   ルース・シーゲル画廊(ニューヨーク)で個展
   FIACのアートヨミウリ画廊のブースで個展

1987 ソーホー地区の貸し会場で個展
   7月3日 パリにて逝去 享年70歳
   日本橋高島屋で個展

木村作品の本質は、印象主義の光の要素を改めて追求する
ことからはじめて、自然と人間との内面的・精神的な交わり
において光をとらえ直し、自然の真実の姿・全体の姿を
表現しようとしたところにあります
それゆえ、作家はモネの後継者と自任し、みずからを
「魂の印象派」と呼びました
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