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エルテ
Erte(1892-1990)

1892 本名、ロマン・ド・ディルトフ将軍の息子としてロシ
   アのセント・ぺテルブルグに生まれる
   本名は、ロマン・ド・ティルトク(Romain de Tirtoff)

1912 美術の勉強のためにパリへ行く
   アカデミー・ジュリアンで歴史画家ジャン・ポール・
   ローランに師事

1915 ハーバース・バザーに最初の表紙デザインとインテリ
   アのページに掲載され、22年間にわたる同誌同士の協
   力発端となる

1967 メトロポリタン美術館が170点の作品を買い上げ

1968 最初のリトグラフ数字を制作

1970 フランス政府より芸術文化功労勲爵士の称号を授与

1976 フランス政府より芸術文化功労の称号を授与

1977 ニューヨークでジークフェルド優秀賞受賞

1978 ニューヨークでユージン・オニール基金賞受賞

1982 パリ市ヴェルメイユ賞受賞
   90歳の誕生日を祝い、グラフィックの大展覧会が開催

1985 フランスのレジョン・ド・ヌール賞受賞

1989 ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの名誉博士号授与

1990 4月21日、パリにて永眠 享年97歳

ロマン・ド・ティルトフ(Romain de Tirtoff, 1892年11月
23日- 1990年4月21日)は、ロシア生まれのフランス人美術
家でデザイナー。
エルテ(Erte)の通称で知られ、イニシャルのフランス語の
発音から来ている。
多才な20世紀の美術家で、ファッション、ジュエリー、グラ
フィック・アート、衣装、舞台美術、インテリア装飾など、
幅広い分野で活躍したデザイナーである。
ティルトフはロマン・ペトローヴィチ・ティルトフとして、
サンクトペテルブルクの16世紀に遡る名家に生まれた。
父のピョートル・イワーノヴィチ・ティルトフはロシア艦隊
の司令官を務めた。
1907、パリに一年間住んだ。彼はこの時期について「パリに
一年行くまではビアズリーの良さが分からなかった」と述べ
ていた。
1910から12年に、ロマンはパリに移り、デザイナーとしての
道に進んだ。
彼の父の強い反対を押し切っての決断だった。
父はロマンが家の伝統を守り、海軍将校になることを望んで
いた。
ロマンは家名を汚すことを避けるために変名を用いた。
彼はポール・ポワレのところで1913から14まで働いた。
1915に「ハーパーズ バザー」誌と初めての実質的な契約を得
ると、衣装デザインや舞台美術などの華々しい活動を始めた。
1915から1937の間に、エルテは「ハーパーズ バザー」の200
以上の表紙をデザインし、「イラストレイテド・ロンドン・ニ
ュース」「COSMOPOLITAN」、「レディーズ・ホーム・ジャーナ
ル」、ヴォーグなどにも彼のイラストレーションが掲載された。

サイレント映画「The Restless Sex」の広告、エルテが衣装
デザイナーとして起用されている。
エルテはおそらく、アール・デコの時代を捉えたエレガント
なファッション・デザインが最も有名である。
彼の最初期の成功の一つに、フランス人ダンサーのギャビー
・デリスのアパレルデザインがあった。
デリケートな体の線と洗練された魅惑的なデザインはすぐに
彼のものだと見分けがつき、そのアイディアと美術は21世紀
のファッションにもなお影響を与えている。
彼の衣装、プログラム・デザイン、セットはジーグフェルド・
フォリーズ(1923)、フォリー・ベルジェールのプロダクショ
ン、ジョージ・ホワイツ・スキャンダルズといったレヴュ
ーで採り上げられた。
ブロードウェイでは、著名だったフランス人歌手のアイリ
ーン・ボルドニがエルテのデザインを身に纏った。
1925にルイス・B・メイヤーの招きでハリウッドに行き、サイ
レント映画「巴里」のセットと衣装をデザインした。
脚本に問題があったので、エルテには他の仕事が与えられ
た。そのため彼は、「ベン・ハー」、「からくり四人組」、
「Time, the Comedian」「Dance Madness」といった映画、
でデザインを担当した。
1920には、マリオン・デイヴィスが主演しウィリアム・ラン
ドルフ・ハーストが出資した映画「The Restless Sex」で
セットと衣装をデザインした。

彼の最もよく知られた絵は「Symphony in Black」であり、
幾分か様式化され、すらりと背の伸びた着飾った女性が、
後ろに鎖で繋いだ痩せた黒い犬を連れている姿を描いてい
る。
この影響力のある絵は無数に複製・コピーされた。

エルテは人生を通じて活動し続け、レヴュー、バレエ、オペ
ラをデザインし続けた。
彼は1960代のアール・デコ・リバイバルの時期になると、
仕事が大き再評価され称賛された。
そして限定版の版画、ブロンズ像、ウェアラブル・アート
といった分野に手を広げた。

死の二年前にエルテはクルボアジェの七本の限定ボトルを
デザインした。
蒸留から熟成までのコニャックの製造過程を表したデザイ
ンである。
2008に、エルテが八番目にかつ最後にデザインしたクルボ
アジェのボトル(1892年産のグランド・シャンパーニュの
コニャックが入っていた)が発売され、1万ドルの値段で
販売された。

彼の作品は、ヴィクトリア&アルバート博物館、メトロポリ
タン美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館などの、有
名な美術館のコレクションで展示されている。
またエルテの作品の大規模なコレクションは、東京のミュ
ージアム1999でも見ることが出来る。
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