ホーム > 日本洋画作家 > 寺井重三 >  寺井重三略歴

寺井重三(1928- )

 1928年 石川県珠洲市に生まれる

 1949年 日展初入選

 1950年 金沢美術大学日本画科卒業

 1961年 洋画に転向、木下孝則に師事

 1965年 一水会会員に推挙

 1977年 一水会委員に推挙

 1980年 日展特選受賞

 1982年 日展特選受賞

 1984年 日展委嘱

 1988年 日展審査員に推挙

 1989年 日展会員に推挙 

       現在 日展評議員

   画家を志し21歳のとき日本画で日展入選を果たし、3年のブランクの
  あと4回連続入選する。
   しかし画業で生計は難しく小学校教員として教壇に立つ。この頃、絵の
  好きな子供たちに熱心な絵画指導をする。

   一方20歳後半から日本画に限界を感じ洋画に転向することになる。
  周囲からは日本画で日展に5回も入選したのになぜ洋画にと猛反発される。
   寺井は「当時の日本画界は、絵の良し悪しは別にして描きたいと思って
  も師の許可がなければ描けないというところに疑問を感じた。
   洋画壇の自由闊達な空気の中で自由に描き、それで駄目なら駄目で終わり
  たい。」と語っている。
   絵画の原点を見つめ自身の思いを通す一徹さをもっている。
  画業一筋の道に踏み込み教員生活を辞め生活苦難の連続となる。

   幾多の荒波に揉まれ乗り越えてきたのは寺井の人柄そのものだ。

   旧制中学時代の親友は「父親の教えもあったが小さい時から真面目でやさ
  しい人でした。人を押し退けてゆくのではなく自然体で出てゆく人。昔も今
  と変わらずソフトで包容力のある人だった。」と語る。

   わが道を失わず今日に至ったのは家族ならびに周囲の支援も当然だが、自
  身の生き方にあったことはいうまでもない。
寺井重三画面に戻る