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マルセル マルソー
Marcel Marceau(1923-2007)


1923フランスのストラスブールでユダヤ人の父・シャルル
と母アンヌの間にMarcel Mangel(マルセル・マンジェル)
として生まれる。16歳のときフランスが第二次世界大戦に
突入、その影響により家族でリモージュに移住を強いられ
る。その後兄弟のアランとともにマルセルはシャルル・ド
・ゴールの自由フランスに参加、堪能な英語力でジョージ
・パットンの軍隊の渉外係として働く。戦況が悪化する中
、ドイツ軍のフランス侵攻に伴い、ユダヤ人であることを
隠すために姓をMangelからMarceauに変えたが、彼の父は
ゲシュタポによって捕らえられ、1944にアウシュビッツ強
制収容所で亡くなるという悲劇に見舞われる。
 Marceauという姓はヴィクトル・ユーゴーの『懲罰詩集』
(Les Chatiments)から引用したものであると語っている。

チャーリー・チャップリンを見たことがきっかけで俳優を
志したマルセルは終戦後、1946にサラ・ベルナール劇場の
中のシャルル・デュランの演劇学校に入門。ここでマルセル
はデュランとエチエンヌ・ドゥクルーに師事して演劇や身
体を使ったパフォーマンスを学ぶ。ちなみに映画「天井桟敷
の人々」のバチスト役で世界的に有名になるジャン=ルイ・
バローもまたドゥクルーの生徒だった。バローが立ち上げ
た劇団に参加するがほどなくバローが映画を中心とした活
動になり、マルセルはパントマイムを追求するために離れ
る(この頃までに後にマイケル・ジャクソンのムーンウォ
ークとして有名になる動きを2人で考案していたとされる)
マルセルはこの劇団のパントマイム『Baptiste』で演じた
道化役(これはバロー自身が『天井桟敷…』で演じた役で
あった)で好感触を得たことを弾みに最初の無言劇「プラク
シテレスと黄金の魚」をサラ・ベルナール劇場で公演し、高
い評価を得る。

1947には彼の代名詞ともいえるキャラクター「Bip」を創造。
白く塗られた顔、よれよれのシルクハット、帽子に力なく
飾られた花、ストライプのシャツなどはパントマイムの一
般的なイメージとして認知されるほど、大衆にアピールし
影響を与えた。言葉を発せず体ひとつで表現されるそのパ
フォーマンスは高い評価を受け、とりわけ有名な「若さ、成
熟、老年そして死」(Youth, Maturity, Old Age and Death)
と呼ばれているスケッチは評論家をして「彼は小説家が何
冊書いても表現しきれない世界を2分で表現してしまう」と
言わせたという。

1949、2番目の無言劇「夜明け前の死」で、18世紀の著名な
無言劇俳優・ドビュロー(Jean-Gaspard Deburau)を記念
して創設された賞「ドビュロー賞」を受賞。その後、当時世界
唯一といわれたパントマイム専門の劇団「Compagnie de
Mime Marcel Marceau」を設立し、ゴーゴリの「外套」の翻
案や「フルート吹き」(Le Joueur de flute)、「文体練習」
(Exercices de style)、「闘牛士」(Le Matador)、「小さ
なサーカス」(Le petit cirque)、「笑うパリ、涙のパリ」
(Paris quirit, Paris qui pleure)など多くの無言劇のシナ
リオを制作・公演した。
この頃まではフランス・パリを中心にさまざまな劇場での
活動が主であった。

「沈黙の芸術」を世界中に浸透させるため、1955にはアメ
リカでデビュー。ニューヨークでの大絶賛を受けて、より
大きな会場でのパフォーマンスが行われた。ライブ・パフ
ォーマンスは南米、アフリカ、オーストラリア、中国、日本
、東南アジア、ロシア、ヨーロッパでも賞賛を受け、2006ま
で精力的にワールドツアーを続けた。

テレビにも進出し、最初のテレビでのパフォーマンス出演
となった「Max Liebman Show」はエミー賞を受賞。1973
のBBCの「クリスマス・キャロル」(ディケンズの作品)で
はスクルージ役で登場した。
また自身の番組「Meet Marcel Marceau」も持っていた。

1967のジェーン・フォンダ主演の映画「バーバレラ」では
ピング教授役をこなし、1976年のメル・ブルックス監督作
「メル・ブルックスのサイレント・ムービー」(Silent Movie)
では、映画の中で唯一のセリフ(「Non!」)をしゃべる本人役
で出演している。また1989のクラウス・キンスキー監督・脚
本・主演のイタリア映画「パガニーニ」にも出演している。
他に「Paint It White」(タイトルはローリング・ストーンズ
の楽曲「黒くぬれ/Paint It, Black}のパロディ)というマル
セル自身の体験をもとにした低予算映画が進行していたが、
共演していた幼少時代からの友人が撮影中途で死去したた
め完成には至らなかった。

作家としては子供向けに「Marcel Marceau Alphabet Book」
「Marcel Marceau Counting Book」というアルファベットと
数字の本を出版。1966には詩とイラストが中心の本を、また
「Bipの物語」(1976 The Story of Bip)およびイラストの
本などを出版した。

1978にはパリに自身が主宰するパリ国際無言劇学校(Ecole
Internationale de Mimodrame de Paris)を創設。1996に
は無言劇の振興のためのマルソー財団をアメリカ合衆国に設
立した。

1995、歌手・ダンサー・振付家であり自身もマイムを行う
マイケル・ジャクソンとHBOで公演を行う構想があったが、
実現には至っていない。

2000、自身の劇団を引き連れて新作の無言劇「The Bowler
Hat』の世界ツアーを行う。パリ、ロンドン、東京、台北、
カラカス、サントドミンゴ、バレンシア、ミュンヘン、ニュー
ヨークで公演した。アメリカ合衆国では1999からニューヨ
ークやサンフランシスコで以前のソロ・ショーを復活させ
、新しい世代の観衆からも好意的な評価を受けた。フォー
ド劇場(ワシントンD.C.)などの著名な劇場でも公演し絶
賛されている。

1993のチェコスロヴァキア解体まで長年にわたってフラン
ス・チェコスロヴァキア友好協会(Association France-Tch
ecoslovaquie)の名誉会長をつとめた。

2007、フランス・カオールの自宅で心臓発作で死去。84歳
だった。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬され、マルセ
ルが成し遂げた業績と芸術を讃えて2分間の黙祷をささげら
れた。

フランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章(オフィ
シエ章)を叙勲。

マルセル マルソー年譜

1923 フランスのストラスブールでユダヤ人の父シャルル
   と母アンヌの間に生まれる(本名Marcel Mangel)

1939 フランスが第二次世界大戦に突入、その影響で家族
   でリモージュに移住を強いられる

   ドイツ軍のフランス侵攻に伴い、ユダヤ人であるこ
   とを隠すために姓をMangelからMarceauに変える

   父・シャルルがゲシュタポによって捕らえられる

   シャルル・ド・ゴールの自由フランスに参加、堪能な
   英語力でジョージパットンの軍の渉外係として働く

1944 父シャルルがアウシュビッツ強制収容所で亡くなる

1946 チャップリンの映画がきっかけで俳優を志し、サラ
   ベルナール劇場の中のシャルル・デュランの演劇学
   校に入門

   デュランとエチエンヌ・ドゥクルーに師事して演劇
   や身体を使ったパフォーマンスを学ぶ

   ジャン=ルイ・バローが立ち上げた劇団に参加する
   がほどなく、パントマイムを追求するために離れる

   バローの劇団のパントマイム『Baptiste』で演じた
   道化役で好感触を得たことを弾みに最初の無言劇
   『プラクシテレスと黄金の魚』をサラ・ベルナール
   劇場で公演し、高い評価を得る

1947 彼の代名詞ともいえるキャラクター「Bip」を創造
   白く塗られた顔、よれよれのシルクハット、帽子に力
   なく飾られた花、ストライプのシャツなどはパント
   マイムの一般的なイメージとして認知されるほど、
   大衆にアピールし影響を与えた

   言葉を発せず体ひとつで表現されるそのパフォーマ
   ンスは高い評価を受ける
   とりわけ有名な「若さ、成熟、老年そして死」と呼ばれ
   ているスケッチは評論家をして「彼は小説家が何冊
   書いても表現しきれない世界を2分で表現してしま
   う」と言わしめた

1948 2番目の無言劇「夜明け前の死」で、18世紀の著名
   な無言劇俳優ドビュローを記念して創設された賞
   「ドビュロー賞」を受賞

   その後、当時世界唯一といわれたパントマイム専門の
   劇団「Compagnie de Mime Marcel Marceau」を設立

   ゴーゴリの「外套」の翻案や「フルート吹き」「文体練
   習」「闘牛士」「小さなサーカス」「笑うパリ、涙のパリ」
   等多くの無言劇のシナリオを制作・公演した
   この頃まではフランス・パリを中心にさまざまな劇
   場での活動が主であった

1955 アメリカでデビュー。ニューヨークでの大絶賛を受
   けて、より大きな会場でのパフォーマンスが行われ
   たライブ・パフォーマンスは南米、アフリカ、オース
   トラリア、中国、日本、東南アジア、ロシア、ヨーロッ
   パでも賞賛を受ける

1966 詩とイラストが中心の本『Bipの物語』を出版した

1967 ジェーン・フォンダ主演の映画「バーバレラ」でピン
   グ教授役を演じる

1973 BBCの「クリスマス・キャロル」(ディケンズの作品)で
   はスクルージ役で登場した

1976 メル・ブルックス監督「サイレント・ムービー」では、
   映画の中で唯一セリフ(「Non!」)をしゃべる役でカ
   メオ出演

1978 パリに自身が主宰するパリ国際無言劇学校を創設
   (Ecole Internationale de Mimodrame de Paris)

1989 クラウス・キンスキー監督・脚本・主演のイタリア
   映画『パガニーニ』に出演

1996 無言劇の振興のためのマルソー財団をアメリカ合
   衆国に設立

2000 自身の劇団を引き連れて新作の無言劇「The Bowler
    Hat」の世界ツアーを行う
   パリ、ロンドン、東京、台北、カラカス、サントドミ
   ンゴ、レンシア、ミュンヘン、ニューヨークで公演
   した

2007 フランス・カオールの自宅で心臓発作で死去
   享年84歳
   パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬され、マルセ
   ルが成し遂げた業績と芸術を讃えて2分間の黙祷
   をささげられた

賞賛と栄誉
フランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章を叙勲
1978 パリ市大金章叙勲
1991 フランス芸術アカデミー会員に推挙
1998 国民功労章叙勲

名誉博士号
オハイオ州立大学、リンフィールド・カレッジ
プリンストン大学、ミシガン大学

1999に3月18日をマルセルマルソーの日と制定
(ニューヨーク市)
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