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シャルル シャプラン

Charles Joshua Chaplin
(1825-1891)


1825 フランスのLes Andelysで生まれる
   父親はイギリス出身の画商John Chaplin
   母親はフランス人のOlympia Adelle Moisy

1840 パリ国立高等美術学校で学んだ
   高等美術学校の教授、ミシェル・マルタン・ドロラン
   からポール・ボードリー、ジュール・ブルトン、、ジャ
   ン=ジャック・エンネルらと個人教授も受け、後に
   シャプランも高等美術学校で教えた

1845 母親のポートレートで初めてサロンに入選
   この後、毎年サロンに入選

1847 定期的にロンドンの王立アカデミーでも作品が展示
   されるようになる

1851 サロンで姉のOlympia Adele Priestleyのポートレー
   トが銅賞
   翌年のサロンでは銀賞を獲得しました
   その後も毎年サロンに入選しています

1850年代から肖像や風景画だけでなく、若い女性の日常を
   描いた風俗画を描くようになる

1852 サロンで銀賞受賞

1859 サロン出品作「オーロラ」が扇情的すぎるという理由
   で展示禁止になる
   これを聞いたナポレオン3世はシャプランを擁護し
   て展示禁止措置を撤回させた

1865 サロンで金賞受賞

1866 パリで女性画家のための初めての美術教室を開き、
   教えた女性画家にはメアリー・カサット、カイエ、ル
   イズ・アベマ、ルイーズ・ジョプリング、エレーナ

   ・ポレーノヴァらがいた
1879 レジオンドヌール賞を獲得し、シュヴァリエの爵位を
   得る

1881 爵位が一階級上がり、オフィシエとなる

1886 フランス国籍を取得

1891 パリで逝去 享年66歳

1840年代はリアリズムをスタイルとしていたシャプランです
が、1850年代になるとブーシェ、ジョシュア・レイノルズや
トーマス・ゲインズバラ、更に、ルーベンスなどの影響を受け、
徐々に画風が華やかになっていきます

フランスでは1850年代から18世紀以来のロマンチシズムに対
抗してリアリズムが台頭してきました
シャプランはリアリズムにブーシェなどフランス独自のロコ
コ・スタイルを取り入れ、新ロココスタイルを確立し、超人
気画家へと上り詰めました

シャプランはナポレオン3世の妃であるウジェニー・ド・モン
ティジョからも寵愛を受け、宮廷画家となり、彼女の寝室の
装飾やサロンの装飾などを手がけています

また、王立アカデミーの会員であり、エコール・デ・ボザールで
教鞭もとっていました

シャプランは女性のための絵画クラスを主催し、カサット、
ゴンザレス、Louise Abbema(フランス)、Louise Jopling
(イギリス)など優秀な女性画家を輩出した

※レジオンドヌールは統領政府期にナポレオン・ボナパルト
によって制定されたフランスの栄典制度5階級あり高い順に、
グランクロワ、グラントフィシエ、シュヴァリエ、コマンド
ゥール、オフィシエ、シュヴァリエとなっています

※Michel Martin Drollingの生徒は、シャプランのほかに
Paul Baudry(ポール・ボードリー), Jules Breton(ジュ
ール・ブルトン), Jean-Jacques Hennerなどがいます
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