アドルフ・ムーロン・カッサンドルAdolphe Mouron Cassandre (1901年1月24日 - 1968年6月17日)
1901 1月24日ウクライナのハリコフでフランス人の
両親に生まれる
1915 フランスのパリに移住する
1918 エコール・デ・ボザールに短期間在籍して、そ
の後アカデミー・ジュリアンで学ぶ
リュシアン・シモンと知己を得るまでは絵画、
とりわけ印象主義を学んでいた
ごく早い段階でバウハウスに興味をもち、徐
々にその影響を受ける
1922 最初の広告の仕事を世に送り、このとき作家
名として[Cassandre]と署名した
1928まではしばしば「ムーロン・カッサンドル」
と署名している
1924 マドレーヌ・コヴェと結婚して息子アンリを
もうける(1939年に離婚)
1925 家具店の為の広告として1923に制作したきこ
り」(Le Bucheron)によって万国工芸博覧会で
グランプリを受賞し、その名を広めることと
なった
この時の評判がシャルル・ペニャとの出会い
のきっかけともなる
1926 事務所「アリアンス・グラフィック」を開設
1936 アメリカに移住し雑誌「ハーパーズ・バザール」
の為に働き多くのカバーを制作する(-1937)
(Harper's Bazaar)
レイモン・サヴィニャックは、彼の助手で後に独
立している
カッサンドルは長期間にわたってジョルジュ・
ペニョ及び彼の活字鋳造所と恊働しており、ビ
フュール(Bifur)アシエ・ノワール(Acier N
oir)、ペニョ(Peignot)等のタイプフェイス
を制作している
1940代以降は広告関係の仕事をやめ、装飾や舞台、絵画
で活動するようになった
1947 ナディーヌ・ロバンソンと再婚、1954年に離婚
徐々に抑鬱的になったと見らる
1968 6月17日一度の未遂の後、にパリで拳銃自殺した
享年 67歳
カッサンドルは初め、この職は画家として身を立てる
までの食い扶持のために過ぎないと考えており、絵画
は製作それ自身で目的になるが、ポスターは「売り手と
公衆の単なるコミュニケーション手段にすぎない」と
はっきり認めていた。
言うなればこの明瞭で読み取りやすいメッセージへの
指向こそが、後に彼のヴィジュアル・コンセプトに建
築的・幾何学的構成を導くこととなったものであると
いえる。
カッサンドルはパブリシティのためのグラフィックデ
ザインに習熟するに連れて徐々にこれに熱中してゆき
、これを「(芸術画家が)失った公衆との回路を再発
見する」手だてであると考えるようになってゆく。 |