アレクサンダー カルダー

Alexander Calder(1898-1976)

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動く彫刻「モビール」の制作で知られるアレクサンダー カルダー


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アレクサンダーカルダー「FLOWER」
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 作家名 アレクサンダー カルダー
 技法 リトグラフ
 絵サイズ 縦63X横48.5cm
 絵の状態 良  好
 額サイズ 縦87.2X横72.2cm
 額の状態 新  品
 限定 125部
 サイン 鉛筆サイン
 額の仕様 白光沢額縁
 マット 白紙マット
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アレクサンダー カルダー

アレクサンダーカルダー「ピラミッドと雲と丸」
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 作家名 アレクサンダー カルダー
 制作年 1974
 技法 リトグラフ
 絵サイズ 縦51X横72cm
 絵の状態 良  好
 額サイズ 縦72X横91.2cm
 額の状態 ほぼ良好
 限定 EA(通常限定75部)
 サイン 鉛筆サイン
 額の仕様 木茶色グレー塗額縁
 マット 白紙マット
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アレキサンダー カルダー

Alexander Calder
1989年 アメリカ・ペンシルベニア州のロートンで生まれる
      父アレクサンダー・スターリング・カルダーは高名
      な彫刻家で、祖父アレクサンダーミルン・カルダー
      も彫刻家であった
      二人とも巨大な人物像などや記念碑などを手かけて
      いた
      母ナネット・レダラー・カルダーも画家であった

1917年 ニュージャージー州スティーブンズ工科大学に入り
      機械工学を専攻した

1919年 スティーブンズ工科大学を卒業した
      続く数年間は自動車技師、製図工、治水技師の助手
      ワシントン州の木材伐採場の技師などをしたがどれ
      にも満足できず、素描の夜間クラスに通ったことも
      あった

1922年 客船『H.F.アレクサンダー号』のボイラー室の機関士になる

1923年 ニューヨークのアートスチューデンツリーグに入学して素描のクラスに入り、
      ジョン・スローンやジョージ・ルークス、ボードマン
      ロビンソンといったニューヨークの実績ある画家たち
      のもとで学んだ
      学生の間、彼はタブロイド新聞社でスポーツなどの記
      事の挿絵の仕事をしていたが、そのときに取材に行っ
      たサーカスですっかり魅了され、サーカスを描いた無
      数のスケッチや、サーカスの動物や芸人を題材にして
      針金を巻いて作った彫刻を作った

1926年 パリに移りアカデミー・ドラ・グランショーミエールに入学
      この時生活のために、機械工学の経験を使い、針金や
      木を用いて機械仕掛けの玩具作りを始めたことをきっ
      かけに、針金による彫刻に本格的に取組むことになる

      また彼はフランスに針金のサーカス人形を携えて来て
      いたが、これも玩具の経験を通してより精密なものに
      なり、針金彫刻を巧みに操って即興的に上演する本物
      のサーカスに近いパフォーマンスへと作り直した

      すぐに、『カルダーのサーカス(Cirque Calder)』
      はジャン・コクトーを熱狂させたこときっかけに、パ
      リの前衛芸術家たちの間で有名になり、カルダーは
      スーツケースに詰めたサーカスを取り出して2時間に
      わたって上演するショーで入場料を稼いでいた。

1928年 アメリカに戻ったカルダーはニューヨークのワイイー画廊で、人物や
      動物を簡略化して描いた針金彫刻による初個展を開く
      その後10年間をヨーロッパやアメリカで展覧会に参加
      するために大西洋を往復してすごすことになった

1929年 『サーカス』を携えて乗った大西洋横断航路の客船で、
      ルイーザ・ジェームズというニューイングランド出身の
      女性と出会い、1931年に結婚した

      パリで、カルダーは『サーカス』上演を通じてジョアン
      ミロ、ジャン・アルプ、マルセル・デュシャンをはじめ、
      主だった前衛芸術家たちと知り合う

1930年 ピエト・モンドリアンのアトリエ訪問、抽象芸術を受け
      入れるきっかけになるかつてないショックを彼に与えた
      『カルダーのサーカス』は、針金人形のバランスをとる
      ための技術的な経験を通して、カルダーの針金彫刻及び
      動く芸術作品(キネティック・アート)の両方に対する
      関心の始まりになったと見られている

1931年 カルダーのアトリエでデュシャンがカルダーの動く彫刻
      に『モビール』と命名(フランス語で「動き」と「動因」
      の両方のごろ合わせとなる『モビール』)
      室内の空気の流れで予測不可能な動きをする、よりデリ
      ケートな印象の彫刻制作へと移った
      ここで真のモビール(床置式のスタンディングモビール)
      が誕生した
      同時期に、彼は金属板が支えあった、動かない、抽象的
      な彫刻『スタビル』を実験している。

1933年 アメリカに戻り、コネチカット州ロックスベリーに買っ
      た18世紀の農家に住んだ

1935年 長女サンドラが生まれる

1936年 壁掛け式モビールを経て、完全に地面から解放された、
      天井から吊り下げられる方式のハンギング・モビールと
      なって結実する
      かれはほとんどの作品を黒や白、そしてなにより赤と
      いった基本的な色しか使わずに作ったが、モンドリアン
      式の幾何学的構成から、より偶然性に富み有機的な表現
      へと変化していった

1937年 パリ博でスペイン人民戦線内閣に依頼され、フランコ軍
      に抵抗する意思を込めてスタビル『水銀の泉』を制作し
      スペイン館でピカソの『ゲルニカ』などと共に展示された

1939年 次女メアリーが生まれる
      舞踊家マーサ・グラハムに会い、エリック・サティを起
      用した彼女のバレエの舞台装置をデザインしている
      ニューヨーク近代美術館の新しい建物のために、複雑で
      大型のハンギング・モビール『ロブスターの罠と魚の尾』
      を依頼される

1943年 ニューヨーク近代美術館(MoMA)で回顧展。

1957年 ニューヨークのアイドウルワイド空港ためにモビール『.125』を制作

1958年 パリのユネスコ本部ビルのためにスタンディング・モビール
      『渦巻(La Spirale)』制作

1966年 自伝『Autobiography with Pictures(写真入自伝)』出版

1968年 メキシコ市にメキシコ五輪のため作られた20.5mの高さの
      『赤い太陽(El Sol Rojo)』制作

1969年 ミシガン州グランドラピッズ市の広場のためにスタビル
      『ラ・グランド・ビテス』制作

1973年 アメリカのブラニフ航空の依頼で、DC-8にペイントを施
      し『空飛ぶキャンバス』とした

1974年 シカゴの連邦ビルのために作られたスタビル『フラミンゴ』を制作

1975年 アメリカ建国二百年を記念してB727にペイントをし二機
      目の『空飛ぶキャンバス』を完成

1976年 ホイットニー美術館での大回顧展
      11月11日に没する

 カルダーはブラニフ航空のための三機目のペイント『メキシコへのトリビ
 ュート』に取り掛かっていたところで、死去前日までワシントンD.C.で
 ハート上院オフィスビルのスタビルとモビールを仕上げたばかりだった
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